タウリス島のイフィゲーニエ (岩波文庫 赤 407-7)

タウリス島のイフィゲーニエ (岩波文庫 赤 407-7)の詳細

古代ギリシャのエウリピデスが書いた同題の作品も有名ですが、このゲーテの戯曲では、なんといっても、劇の最後まで終始つづくその堂々と格調高い台詞の措辞に圧倒されます。このゲーテの作品では、登場する人間たちは、劇中、女神ディアーナ（アルテミス）と復讐の女神エリュニスの神威を怖れ、かつその存在を感じとりつつも、それら神々は、ギリシャ悲劇とはちがって、神々固有の怒りや気まぐれでもって、人間たちの運命に介入し、それを翻弄するようなことはなく、むしろ舞台の前景にあらわれるのはあくまで人間たちの気高い意志と態度です。ようするに、この劇では、怖ろしい神々の意図のままに下界の人間たちが右往左往するのではなく、登場人物たちがみずからの運命の苦境のなかで見せる高貴な人間性（フマニテート）、それが前面にあらわれ、格調高くそれが描かれているということです。18世紀という啓蒙の世紀のただなかで書かれた作品ということもあるのかもしれませんが、人間の理のみでもって達成される気高い宥和への信頼というものがこのゲーテ古典期の作品の基底にあったのだろうということはそれなりに理解できます。ただ、いま読むと、なにかきれいごとの世界のような印象がどうしてもあとに残ります。とりわけ、劇の最後、タウリスの王トーアスが、イフィゲーニエとその弟オレストに「二人とも達者で暮らせ」と言って、かれらの生まれ故郷のギリシャへと送り出すところは、気高いというよりあまりにも人が良すぎるという感じで少々あっけにとられます。